急遽お墓参りに [趣味・お出かけ・雑文]
気が付けばもう半年が過ぎていました。
これと言って何するでもなくただただ過ぎていく時間。
焦りすら感じるのですが、かといって何をしたらよいのかもわからず。
そんな中、急遽高野山にでかけたくなりました。
毎年行くつもりだった高野山も、
コロナ禍の影響で2年以上行っていません。
墓じまいを終え、あの世での終の棲家となる場所を高野山と決め、
そこには何時でも行けるとからと選んだのですが、
世の中、思うようには参りません。
お世話になるお寺さんの事務局に宿坊の手配をしていただき
列車だけ前回 お世話になった J〇B のお姉さんにお願いし
2泊3日の旅に出ました。
新幹線で新大阪まで行き、そこから地下鉄御堂筋線で難波へ
そこから南海電鉄で極楽橋へ
(高野山への上り口・・・良い名前ですね)
そこからロープウエイで高野山まで登ります。
前回の愛媛もそうですが、ある程度の人の助けは必要ですが、
齢80にして、自分である程度、工程を組み立てて、
一人旅ができるようになったのは、
我ながら大進歩だと思っています。
高野山の駅には宿坊の事務局の方がむかえにきてくれていました。
そこから宿坊に入り荷物を下ろし
奥の院の墓所に連れて行ってくれました。
宿坊は鬱蒼とした木々に囲まれ涼しげです。 (入口にある鐘撞堂)
1日目の夕食、勿論精進料理です。
食事は畳に座っての食事となりますが
膝が悪いので、椅子をだしてくれ、それだと箱膳は低くなるので
食べよいように、箱膳を重ねて、高くなるようセットしてくれました。
2日目AM6:30より始まる朝の勤行に参加し
そのあと一休みして朝食
10時頃、墓所まで送ってもらい、お参り後は私が自由に歩くことにしました。
奥の院の水向地蔵の所で
勤行の時に供養していただいた塔婆(水向塔婆)を納め
水を手向けて御先祖の供養をしてきました。
そこには地蔵菩薩・不動明王・観音菩薩などの金仏が並んでいましたが、
不信心な私はどのお方が、どの仏様か分からないので
適当な仏様にお納めしてきました。
そこからバスに乗って少し見物しようと思っていましたが
あまりの暑さに歩くのはやめ、
教えて頂いていた精進料理のお店に行きました。
お店の人が「ここはミシュランに載ったんですよ教えてくれましたが、
「それが何?」てな感じですが
東京・横浜ではワタシらの様なものは
ミシュランのお店などはなかなか手が届きませんので
それはそれでよい経験だったのかもしれません。
食後少し元気が出たので、
壇上伽藍ぐらいには行けるかなと足を向けましたが
真夏を思わせる太陽と、延々と続くこの石畳に恐れをなし
またの機会にすることにして、
(なれないとタクシーの拾い方も分かりません)
バスを使って帰ってきました。
宿坊の部屋で、木々の香りのする涼しい風に包まれて
ウトウトしながら至福の時間を過ごしました。
外はあんなに暑かったのにクーラーいらずのこの環境。
こんなところでひと夏過ごせたら最高でしょうね。
(ただ交通の便があまり良くないのを考えると
・・・すべては上手くいきません)
と言う事で観光の写真はなにも撮れず
精進料理ばかリになってしまいました。
2日目の夕食です。
3日目の朝食
すべてお豆腐、大豆・類野菜、山菜なのですが、
そのレパートリーの広さに驚きました。
最近ビーガン料理が語られるようになり興味を持っていましたが
(実際知り合いの方のお店に食べに行ったりしていますが)
日本では、千年以上前から禅の世界での歴史があったのですね。
3日目の朝も勤行に参加して、
事務局の人が人をお迎えに行く時間があるが
そのぐらいの時間だったら駅まで送ってくれるというので、
それに合わせて、墓所にしばしのお別れを言いに寄って
少し早かったので、途中で降ろしてもらいました。
コーヒーが美味しいというお店を教えて頂いていたので
そのお店に入った所、「ぜんざい」とあるのを見つけました。
西に来ているのを忘れていましたが
とに角、甘いものが食べたかったので善哉を頼みました。
出てきたのが、私の言うところの大好きな「田舎じるこ」
お汁がたっぷりで、思いがけなく嬉しい思いをしました。
西と東の違いを失念していたので、余計嬉しかったです。
元気いっぱいになって、駅行きのバスに乗り
ロープウエイ・地下鉄と乗り継ぎ無事新大阪へ。
非常にスムーズに行ったので、
時計を見たら一台前の新幹線に乗れそうです。
だめもと、初めての経験ですが、切符売り場へ。
無事切符の変更をすることが出来、
予定より早く、いえにたどりつくことができました。